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壁に向かって話す人間のブログ

宗教としての音ゲー

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アーメン

 

 

やはり音ゲーは宗教。

精霊信仰から始まった潮流の果てが、現代の音ゲーであるということに殆どのプレイヤーは気づいていない。

 

宗教としての音ゲーを語るにはまず、音ゲーの持つ宗教性を語らねばなるまい。

 

 

宗教には信ずるべき神が存在する。

形や数それぞれ相違があったとしても、信ずるべき対象が決められていない宗教は存在しない。

 

音ゲーには永遠性真実性完全性の3つがあり、すなわちこれが信ずるべき存在としてプレイヤーに与えられる。
この三柱こそが、音ゲーにおける神という存在なのである。

音ゲー永遠で真実で完全なのである。

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ではその3本柱についてそれぞれ解説していこう。

 

(1)永遠性とはなにか

一般的にゲームには一旦のエンディングが存在する。

そこから、裏ステージあるいはプレイヤーのやり込みが始まる。

 

しかし、音ゲーはエンディングが存在しない。
ただひたすらに音ゲーをプレイし続けること、それだけを目的に日々プレイを続ける。
一般的ゲームの裏ステージの範囲と呼べる中を夢中に進んでいくのが音ゲーである。

 

他のアーケードゲームにもそれは当てはまる。格ゲーシューティングゲーメダルゲー。ゲーセンは宗教の宝庫だ。

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↑俺が想像する将来のゲーセン像

 

ただし、音ゲーはそれらのゲームを比べてみても永遠性は優れているといえる。

 

弐寺を例にとってみよう。
現在、シングルプレイでの最難関譜面は、個人差はあれど、冥ANOTHERであろう。

 

極端な話ではあるが、この曲をクリア・ハード・エクハ・フルコンしたところで、まだまだ音ゲーの終わりには近づいていないということに、皆さんはお気づきであろうか?

そう、弐寺のシングルプレイの最終的目標は、「冥ANOTHERをS-RANDOMで理論値を出すこと」に他ならない。

 

出来る出来ないでの問題ではない。音ゲーはここまで永遠性を持たせているのである。
そしてもし、読者がそんなこと一生出来ないと感じるのであれば、その感情は永遠となり得る

 


(2)真実性とは何か

 

音ゲーには多数の楽曲が存在し、その数だけ譜面が生まれている。
そして、その譜面それぞれにクリア・スコアが記録される。

さらに譜面には個人差が存在し、難易度の括りはあれど人によって譜面に感じる難易度はマチマチである。

 

これが真実性となる。

 

どういうことか。


すなわち真実性とは音ゲーの真実性ではなく、音ゲープレイヤーの真実性なのである。

 

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・・・

 

これもまた弐寺を例にとってみよう。

二人のプレイヤーがいる。片方は皆伝でもう片方も皆伝である。

皆伝という括りであれば二人は同じ位置にいるように思える。

 

しかし蓋を空けてみれば、片方の皆伝は冥をエクハしているもののスコアは平均して低い。
一方もう片方の皆伝はエクハの数はそれほどだがスコアは平均して高く、何より皿曲のスコアは群を抜いている。

 

お気づきだろうか、皆伝という文字だけを見た場合ぼんやりとしていた輪郭が、
クリア状況・スコア等の情報が与えられることによって、はっきりとしたものになる。

 

そう、音ゲー自己表現の手段がとてつもなく豊富なのである。
ただクリアした・しないだけではなく、多種多様な譜面によって自分の得意不得意が現れ、そしてそれを突き詰めることによって、個人差が現れるのだ。

 

それはプレイヤーの個性であり、すなわちそれこそが音ゲーの真実性と言えよう。

 


(3)完全性とは何か

 

突然だがゲームは何かの模倣体験であると言われている。

RPGは仮想人生体験だし、格闘ゲームは仮想暴力である。

 

ただし、現在の人類の技術において、ゲームはやはりゲームとしてでしか存在しない。
(VRの発展によってもしかしたら一般のゲームも完全性を得るかもしれない)

 

それはやはり、体験するにあたって、入力デバイスという大きな壁が存在することが大きい。

エレコム ゲームパッド 8ボタン スーパーファミコン風 高耐久ボタン(日本メーカー製)採用 300万回耐久試験クリア ホワイト JC-FR08TWH

↑ゲームの宗教化を妨げる存在。

 

例えば、RPGにおいて歩くという行動は矢印キーあるいはアナログスティックを操作しなければならない。
現実における足を動かすという行為と、かなり乖離がある。

 

しかし、音ゲーはそうではない
音ゲーはタイトル間に差はあれど、音楽が流れるという部分は共通している。

流れる音楽にのせて、指定された譜面で仮想演奏を行うという手段は音ゲー不変のスキームである。
そして、この仮想演奏がもはや仮想とは言えない部分まで現実に近づいているのである。

 

ピアノを弾く→音が鳴る!→楽しい!
弐寺の鍵盤をたたく→音が鳴る!→楽しい!

・・・

 

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お気づきだろう、ここまで現実に近づけたゲームは人類史上音ゲーをおいて他に存在しない。


これが音ゲーの完全性である。

 

以上、音ゲーが宗教たるゆえんを語ったが、
次は音ゲーが宗教としていかに機能しているかを考えていきたい。

 

音ゲーがプレイヤーにもたらす幸せ

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〇圧倒的成功体験
永遠性かつ真実性を兼ね備える音ゲーはあなたに至極の成功体験をもたらす。
永遠に成長し続けることはもちろん可能だし、その先に待つのは真実としての自分である。
音ゲーという土俵で戦うのであれば、どんな人間でも努力次第でぶちのめすことが可能。

 

〇新たなる出会い
音ゲーの完全性に魅せられた同志達と親交を深めることが可能。
そこから新たな交流が生まれる可能性もある。
よきライバルと巡り合い高めあうことも可能。

 

〇新たなる出会い(コンテンツ)
主に音楽方面への出会いは大きいといえる。
楽曲のジャンルに多少の偏りはあるが、音ゲーはインスト曲への入口として機能する可能性もある。


だがしかし、悲しいことに、音ゲーを使った争いが起こっていることも述べねばなるまい。

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音ゲーが引き起こしたプレイヤー間の宗教戦争

 

〇実力至上主義者とそれを批判するものたちの闘争

音ゲーにおける「真実性を過剰に利用して威張り散らす」そこそこ実力のある皆様がたと、
それをよしとしない「真実性はあくまで真実だがそれを利用して威張るのはおかしい」とわめきちらす、下手という真実だけが存在する皆様がたの争い。
力量としては圧倒的に前者の勝利に思えるが、後者の勢力はいまだ衰えていない。

 

〇懐古主義者によるテロリズム

音ゲーの永遠性に恐れをなした脱教徒達による「昔はヨカッタ」爆撃

 

〇完全性・あるいは真実性を利用した詐欺とそれに対する汚教を嘆くものたちの闘争

音ゲーのコンテンツを利用して相手の目をくらませ男女の仲を深める者たち(俗にいう出会い厨)と、
それに対して「俺たちの神聖な音ゲーを利用してイチャイチャするんじゃねえ」と怒鳴り散らす者たちの争い。

 

音ゲーの完全性をゲーム内に持つものたちの闘争

多岐にわたる音ゲータイトル(宗派)を個別に信ずる者たちによる、移植曲・営業体制・などなどの批判から発展する争い
最近では「BMS派あるいはそれに愛着を持つ勢力」と「チュウニズム移植発表ある度に「SEGAマジ好きほんと最高」ツイート派」による争いが有名。

 

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他にも、俺の知らないところでまた、誰かと誰かが憎しみ争っているに違いない。
多分それは、人が音ゲーから得る幸福の大きさをゆうに超えていると思う。

歴史上、宗教は大多数の人類に幸福を与え、そして戦争をもたらした。
そう、既に音ゲーは宗教として機能しているのである。

 


さて、同じ記事内ではあるが、実は音ゲーは宗教ではないということも述べておきたい。
宗教っぽいねと感じるだけで、当然ながら音ゲーコンテンツは神として存在しない。するはずがない。
ただ、宗教であるということを無意識にぼんやりと感じてる人が多いなってのは見てて思う。
音ゲーは既に一つのゲームコンテンツとしてはかなり強力な力を持っていて、
それを利用していろんなことが出来るし、いろんな争いがおきたりする。
衰えを知らないコンテンツだよな、ゲーセン業界が斜陽にある今、しぶとく生き残っていやがる。

 

ただ、音ゲーはKONAMIやSEGAが倒産したら終わるでしょう。
音ゲーというジャンルは残るが、宗教(っぽい)としての音ゲーは消え去るはず。
そもそもタイトルとしてこの先50~100と続いていくとは想像しがたい。

人の個性についても、音ゲーだけで表現できるものがそれ全て真実ではないということは言うまでもない。

音ゲーは完全に近づいてはいるが、完全ではない。
完全を求めるのであればピアノ弾くなり、ギターを弾くなりした方が良い。


当然だが、音ゲーは永遠でもないし、真実でもないし、そんなに完全でもない

 

真剣になることはないと思う。考えすぎだなって見てて思う人がたくさんいる。
俺自身こんな記事書いちゃうぐらいだから考えすぎだと思っていて、それから解放されたいなって思ってる。
だからもう音ゲーへの接し方とかそういうのを発信していくのはこの記事の内でおわろうと思ってる。
これ以上いくと、本当に音ゲーが宗教化しそうで、正直怖い。

 

以上が宗教としての音ゲーを考えた結論

 

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・・・まあ、これだけだとただ音ゲーやってる人を批判してるだけなので、

上で書いた、音ゲーは宗教っぽくて、だけど宗教ではないよなっていう点を踏まえて
今流行りの上達指南を簡単に書いときます。

 

モチベの保ち方みたいな精神論は俺嫌いです。
俺自身モチベを意識してやったことなんてないし、さっき言った通り音ゲーとの付き合い方ってなんか宗教っぽくて怖い。

絶対読むなら実務的な指南の方が役に立つだろうと思っています。


ただ、精神論の中で一つ実務的といえる考え方があると思う。

 

音ゲーが宗教でないと否定はしたものの、
自分の残したスコアやクリアランプが真実であることだけは間違いない。
要はそれを大事にしていけばいい。
やり方どうこうではなく、音ゲーは結局のところ、スコアを伸ばす、クリアランプを増やすということが重要なのである。

 

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・・・いやそりゃ当然でしょ。

と、思う人がいるかもしれない。
ただ、スコアを伸ばす、クリアランプを増やすという意識は非常に大事なんです。
脳死で延々特攻繰り返すよりも、プレイの中でどれだけ自己べを出そうとするか、
クリアしようとするかを考える事が上達への近道なんです。
その自己べを出す手段は個人の方法だったり、誰かからのアドバイスだったり、音ゲーが一番楽しいのはそこだよなって思う。
で、それによって得たスコアとクリアランプには自信を持つべきだし、多少くらいは自慢してもいい。
そうやって地道に上達して行けばいい。と最近俺は思っています

 

・・・あ、多分ほとんどの人は気づいていると思うけど

その考え自体も宗教クサイが」
「胡散くさい上達指南、これは宗教」
「結局お前も喧嘩売ってるじゃん、宗教戦争

あー

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・・・やっぱ音ゲーって宗教だわ。

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